きちみ製麺について
笑顔をおもう。
心を尽くす。
奥州蔵王の麓、宮城白石。
清冽な水と風に恵まれたこの地で、4 0 0 年以上に渡り愛される「白石うーめん」。
きちみ製麺は、明治3 0 年( 1 8 9 7 年)に創業して以来、技と心を受け継ぎながら、
ただひたすらにうーめん作りに邁進してきました。
素材にこだわる。
機械に頼り切らない。
温度や湿度、小麦粉と塩水の混ざり具合、麺肌の艶。
限りなく同じでも確かにちがう些細な変化に目を凝らし、手に聴き、一つひとつ品質を突きつめていく。
そうしてできあがる麺生地は、時には光輝いて見えるほど。
粉にまみれ、麺と向き合う時間を惜しまず、私たちにしか作れないうーめんを日々追い求めています。
白石の地で愛され続けてきたおいしさを時代を超えて伝えていく。
そのために、知恵を絞り、うまさを磨き続ける。
うーめん
人の心の温かさから“温麺”と名づけられたこの麺に恥じぬよう、
ほおばる人びとの笑顔を思いながら私たちが信じるおいしさを作り続けます。
今日も、1 0 0 年先も、
うーめんを食べる幸せが
天下に鳴り響きますように。
おいしさへのこだわり
きちみ製麺のうーめんは、麺自体がやや太くしっかりしているので、こだわって選んだ小麦粉の香りや、コシがありツルツルとした食感を楽しめます。原材料は小麦粉と塩水だけというシンプルな配合。 シンプルだからこそ繊細で、塩水の加減が麺の硬さや食感に影響します。 気候や温度の変化によって加水率が大きく変わるそのため、前日、製造担当者が生地の状態を慎重に確認し、その日の気候に合わせて仕上がりを微調整しています。
温麺の未来へのこだわり
きちみ製麺のうーめんは、良質な小麦粉を使うことで、茹でる前も茹で上がりもほんのり黄色みががった、美しい見た目が特徴です。油を使わずからだに優しいので、離乳食にはじまり、お年寄りまで安心して食べていただいています。二日酔いの日の朝ごはんにもおすすめです。生活に寄り添い、地域の皆様に愛されるうーめんをさらに多くの人たちに届け、伝統の味として末永く守り続けていきたいと考えています。
品質のこだわり
きちみ製麺では、安心して召し上がっていただけるうーめんをお届けするため、品質管理を徹底しています。 小麦粉の熟成に最適な温度管理を季節ごとに調整したり、水分値を機械で測定して乾燥具合を数値で管理。出荷前には異物やアレルゲンの混入がないか厳重にチェックし、「よりおいしく、より安全」な製品づくりに取り組んでいます。
今までのあゆみ
1897年(明治30年)
第12代当主の吉見勇吾が様々な仕事に従事する中で、白石温麺製造に携わる機会を得る。これにより、吉見家の白石温麺製造の歴史が始まる。
1899年(明治32年)
白石において、初めて機械製麺による白石温麺の製造に成功する。
1945年(昭和20年8月)
大東亜戦争が終戦し、勇吾の孫である吉見光夫が家業である温麺製造を継承。
1954年(昭和29年11月)
合資会社吉見製麺所を設立。吉見光夫(吉見家第14代、白石温麺製造の3代目)が無限責任社員(社長)として就任。
1956年(昭和31年)
「カレーうどん」を開発・発売(後の「カレーめん」として親しまれる)。
1968年(昭和43年10月)
品評会で「中小企業長官賞」を受賞し、これを機に「つりがね印」を商標として採用。片倉公の「黒つりがね」をモチーフにトレードマークをデザイン。
つりがね印の白石温麺が誕生し、日本経済の発展と共に全国の百貨店の物産展にて販売される。
1981年(昭和56年)
「金印白石温麺」の販売開始。
1982 (昭和57年7月)
吉見光夫社長の長男である吉見光宣が入社。
1985 (昭和60年2月)
漆喰の白壁の新社屋が完成。
1987 (昭和62年10月)
「琥珀温麺」が誕生。
1989 (平成1年3月)
白石温麺の自動紙巻機を2台導入し、計量結束紙巻の2ラインを整備。
1994 (平成6年4月)
株式会社きちみ製麺を設立。旧合資会社吉見製麺所と対等合併し、株式会社として再編。吉見光宣が第4代代表取締役社長に就任し、吉見光夫が代表取締役会長となる。
1994(平成6年11月)
本格的に「手延白石温麺」の製造を開始。
2014年(平成26年5月)
白石温麺食事処「光庵」をオープン。
2015年(平成27年)
第1回お客様感謝祭(工場祭)を開催。
海外への販売を開始。
2021年(令和3年12月)
乾麺HACCPを取得。
2022年(令和4年2月)
八戸東和薬品株式会社と資本提携し、高橋巧が代表取締役社長に就任。吉見光宣は取締役会長に就任。